2011年03月15日

地震

●地震のときは、市ヶ谷の事務所で仕事をしていて、間違いなく今までで一番揺れた。
電柱が傾くし、電線がゴムひものようになって、こりゃ大変だ!と。ただ、僕なんか事務所が1Fだったから、たいして揺れてないほうなんでしょうね。

●それで、この地震だとまず電車は今日中に動かないだろうと思って、今日は事務所に留まろうと決意。幸運にも、妻子と連絡がすぐにとれて、おまけに3人とも元気だというので、原稿書きながらネットで状況を見守ることに。

●このとき、時間がなんかあっという間に過ぎていった。刻々とわかる深刻な事態に、もう原稿どころでなくなってきた。気がつけばもう午前1時。このとき電車が少し動き始めたんだけど、なんか頭が高ぶって帰っても寝られなさそうだったから、神楽坂のバーに行って少しウイスキーを飲んでいたら、同業の北井チャンが連絡くれてクルマで来ているから送ってくれると。

●ありがたかったですね。246などの幹線道路は、まだ渋滞していたけれど、わき道入るとすごく空いててあっという間に帰宅。そんな感じでした。男1人、それも急がない帰宅だったので、大変な思いをした方々から比べれば、なんてことない体験でした。でも、やはり自分も揺れを体感したというのが、すごくリアリティとなっています。だから、東北地方で、辛い思いをしている方たちへの心配は、今までにないもので、1人でも多くの命が救われ、被害に遭った方が、1日でも笑顔になれるよう祈っております。

●知人といえば、「言戯」というブログを書いているトシさんが、仙台在住で。すぐにメールで「無事」とは知ったのですが、その後、どうなったのか心配していたのですが、先ほど「生存報告」」をあげてくれました。無事でよかった。
http://kotozare.way-nifty.com/3/

●さて、僕らに何ができるのか。今は、節電と募金と献血とかなのかな。
今は、プロフェッショナルな方たちが活躍するとき。僕らは半年とか1年とか3年とか5年先を見て、何かしていきたい。とりあえず被災地が元気になったら、家族で旅行に行こう。仙台でJリーグの試合があったら、満員にしよう。被災地の野菜やお肉があったらいっぱい買って美味しく食べよう。そうやってみんなができることで支えていこう。ひとつになって。

*追記。今、東京で物資が不足しているかのような報道が多く、他府県の友人からも「何か送ろうか」と言っていただいてます。
たしかにパンとか米とか、電池とかカップ麺などスーパーは空ですが、ま、何もなくなればお好み焼きでも作ればいいし、なんとでもなりますから、ご安心を。なんかこういった機会に、昔の知恵を使うといいのになぁと。この機会に布オムツにしてみる。この機会に鍋でご飯を炊いてみる。こういった工夫をしていこう。昔の人はみんなそうやって生活していた。今こそ、古きよき日本の生活に学ぶべきなんじゃないかと思うのです。

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2011年03月05日

空っぽの容れ物


teppaku.JPG斉藤孝さんの『誰も教えてくれない人を動かす文章術』(講談社現代新書)は、的を射た文章術本だなぁ。これからライター志望の人がいたら、オススメしよう。

まず、この認識が的確。

《「書く」ときの考える力には二つあると述べました。新しい認識を得る力と、文脈をつなげる力です。》

この「文脈をつなげる」というのは、インタビュー原稿を書く時に欠かすことのできない力。この力がないと質問と質問の関連もない、ただテープを起こしただけの原稿になってしまう。訓練で上手になるけれど、こういった訓練をしてくれるところはあまりないから、自分で意識して「文脈をつなげる」ようにしなくちゃいけない。

《日本の学校教育では、何かについての論を、生徒に再構成させて書かせるような訓練をさせる場が足りないのです》

で、こうあるよるうに、なかなかできる人がいないのが現状。だから編集とかライターはプロとしての存在価値があるんだけど、そのプロでもできない人はいるんですよね。

それはライターを自称していても、原稿と格闘した場数が少ないからなんです。

僕は、編集者が原稿を上手にまとめられるのは「下手な原稿と真剣に格闘するから」だと思っています。上手な原稿を書き写すという訓練はわりといろんなところで推奨されているけど、下手な原稿をなんとかしろ!と言っている文章術ってない。でも、個人的にはこれは上手になる訓練だと思うな。

あと、この一文もいい。

《文章というのはほとんど自分の内部に蓄積された他社の認識。<中略>私自身、結構な数の著作を出してきましたが、その九十九パーセントは自分が読んできた本から得た。他者の認識でなりたっています。自分自身で、全くゼロの状態から生み出した認識というのは、ごくごくわずかなのです》

そうなのです。そうだと思うのです。そうそう。そうなのだ。で、話は変わるのだけど、こないだ読んだ名作と名高い伊丹十三の『女たちよ!』というエッセイの「序」が実にいかしていたので、書いておこう。

《寿司屋で勘定を払う時、板の向こうにいる職人に金を渡すものではない。彼らは直接食べ物を扱っているのだから。このことを私は山口瞳さんにならった。
包丁を持つ時には、柄のぎりぎり一杯前を握り、なおかつ人さし指を包丁の峰の上にのせるのが正しい。私はこのことを辻留さんにならった。<中略>
 と、いうようなわけで、私は役に立つことをいろいろと知っている。そうしてその役にたつことを普及もしている。がしかし、これらはすべて人から教わったことばかりだ。私自身は――ほとんどまったく無内容な、空っぽの容れ物にすぎない。》

 知識を得れば得るほど、その世界は深遠であることに気づき、自分の無力さにもまた気づく。

ま、そういうお話なのでした。

明日は、Jリーグ開幕。あ、もう今日か。久々の味スタ楽しみです。

*写真は、こないだチビと行った鉄道博物館。なかなか楽しかったです。


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