2012年04月30日

『歩くとなぜいいか?』(書評2012 18/50)


相変わらず意識して歩いています。
万歩計を買ってもう半年以上経つけど、飽きない。まあ、「できるだけ歩こう」「電車乗るなら歩いてみるか」といった意識くらいなものですから、楽なもんですが、そこから得られる効果はかなりあるんじゃないかなー。単純に痩せたし、いろんなことへの関心がより高まった。今までだったら「徒歩15分」と書いてあるようなお店には、それこそまさに二の足を踏む感じだったけど「15分歩ける!」って思えて、嬉々として行く。こういうメンタルを持てるだけでも、かなり好影響なんじゃないかな。

さて、そういうわけで「歩く」ということをかなり肯定的に捉えているので、この本も「そうだろそうだろいいんでしょ」って感じで手にとった。薄い本なのでパラパラ読めばすぐに終わる内容ですが、全編にわたって脳、意識、体などあらゆる面によい影響を与えると書いてあって、僕、大満足(笑)。ま、それだけの本なのですが、この本にある「江戸時代、そして明治、大正頃までサラリーマンは平均3万歩も歩いていた」という記述には驚いた。3万ですよ。この本にもあるけど、現代のサラリーマンは、平均すると5000歩から7500歩。家にいる主婦だと2500歩ほどしか歩かない。
この歩数は、まさに僕も実感するところで、家にいると、どんなに頑張ってもこんなものだし、普通に仕事して帰ってくるだけだと、7000歩がいいところ。つまり、健康への目安とされる1万歩って「歩こう」という意識がないと到達しない数値なんですね。
それこそ、どこに行くにも歩くことが主たる手段だった江戸時代に比べて「歩く工夫」が必要とされるのが、今の社会なわけです。

ただ、闇雲に一駅分だけ歩こうってのは、存外続かないんじゃないかな。それよりも僕は、「迷う」ことをおすすめしたい。わかりやすいのが買い物。本を買うのに迷って店を歩く。こういうときって、すごく歩いている。つまり歩くこと以外に別の目的をもって歩く状況を作るのが効果的なのです。それで、そのためもあって現在「歴史散歩」を毎月一回を目処に始めたのですが、そのことはまた今度書きますね。ま、そういうわけで歩くのはいいもんだというお話でした。はい。

posted by okataco at 00:06 | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月19日

TOKYO TODAY

昨日、渋谷の「LIASON」(リエゾン)というカフェでやった石黒謙吾さんとの「カフェゼミ」。「推進力」という力をテーマに話を聞き、これをベースに本にしちゃおうという企画でしたが、おかげさまで満員御礼。楽しんでもらったみたいで、よかったです。

さて、その舞台となったカフェが想像以上にご機嫌な空間だったので、最近いつも持ち歩いているカメラでちょっと撮影して写真ブログ「TOKYO TODAY」で紹介しました。

そういえば、ここで告知していませんでしたが、この「TOKYO TODAY」では、僕の好きな東京のお店や場所を紹介しています。京都のお気に入りを紹介するのが「きょうの京都」で、東京は「TOKYO TODAY」というわけです。
なんにしても一眼レフカメラは相変わらず楽しいな。近々新しいレンズに挑戦してみよ。
posted by okataco at 23:06 | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月18日

『2択思考』(書評2012 17/50)

著者の石黒謙吾さんとは、僕が26歳のときに出会ったから15年近いおつきあいになるのかな。今でも覚えていますが、渋谷にあるPARCOという書店で偶然『チャート式試験に出ないニッポンのしくみ』という石黒さんの本を手にしたのです。トキの生息地が日本地図にマッピングされていたり(佐渡にしかいないけどね)と、森羅万象がいろんな形の図に落とし込まれているのを見て「これは仕事をごいっしょしたい!」と思って、すかさず当時の版元だった扶桑社に電話して連絡先を教えてもらって、すぐに会いにいったのでした。

それから僕が出版社にいたときは仕事をお願いしていて、僕が事務所を作ってからはいっしょに仕事をするってことは減ったけれど、ずっと近い存在だと思っている方です。
というのは、石黒さんや僕みたいに、自分たちで企画を立てて、それを売り込んで本を作っている人って意外と少ないんですよ。そんなわけで、勝手に僕のなかでは石黒さんは尊敬すべき同士なわけですが、そんな石黒さんの仕事術を綴ったのがこの『2択思考』。仕事術というか、石黒さんの決断メソッドをまとめたものですね。

世の中には、たしかに「決める」のが苦手という人がいる。そういう人に向けて、「2択」をベースに考えれば、決断が早くなるよ−−というのが骨子。そこからいろんなケースにおける思考方法を綴っているのですが、各所で「すぐには役だたない」と自ら書いている点にすごく共感する。

今、「すぐに役立つほにゃららメソッド」といったものがとても多いけれど、本当に役立つスキルですぐに役立つものなんてないよね。奇しくも灘校の伝説の国語教師と呼ばれる橋本武先生も「すぐに役立つものはすぐに役立たなくなる」と言っているけれど、まさにそう。石黒さんもこういう現状に一石投じる気持ちだったんだと思う。ただ、そういった状況を批判するのでなく、この本に帯に「頭の漢方薬!」と打ってメッセージとしたのはさすが。いいコピーだ。

この本の中に、石黒さんの本作りに対する姿勢が綴ってあって、それに共感したので引用しておきます。

《よく人から「何でこんな本を作るんですか? 誰が買うんですか?」と聞かれることがあります。でも、僕は本を作るとっかかり部分ではそんなことはまず考えません。「好きだからその本を作る」「自分がいいと思うから作る」としか言えない。そして、誰が読むかは、あとから考えます(笑)。これはビジネスとしてはヘタに決まっていますが、その代わり僕はめちゃくちゃ気持ちいい。本が売れてお金が増えることが気持ちいい人も多いでしょうが、僕は本を作っている瞬間そのものが気持ちいいほうが先だと思っています。そしてもちろん売れたほうがいいに決まっていますが、売れなくても十分楽しいのです。青臭いようですが掛け値のない本心です。》

さて今日から3ヶ月にわたって計3回、石黒さんと「カフェゼミ」という企画をします。カフェで話しをしながら、その会話を本にしていくという試み。久しぶりに石黒さんと仕事をするので、楽しみです。


posted by okataco at 13:14 | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月13日

『ビブリア古書堂の事件手帖』(書評2012 16/50)

書店でも大きく展開されている本で、気になって読んでみた。
気になったポイントは、ミステリーの鍵となるのが「本」であるということ。

古書店を営む女性店主が、安楽椅子探偵となっていろんな事件の謎を解くという設定なんですが、夏目漱石や太宰の実際の古書が、物語の中で大事な役割を果たすというのがいい。

いわゆるライトノベルであり、細かいことをいえば状況描写や、話の筋の運び方に稚拙な感じを受けなくもない。でも、こういった「本が好きだからそれを舞台にしたミステリーを作りたい」という気持ちから爽やかな印象を受けた。それで、この本を読んで「じゃ、僕も好きなものを使ってミステリーを書こう」と思う人が増えるといいなーと思った。

前から感じていたけれど、大衆小説というのは人が死にすぎる。死の真相を探る刑事や新聞記者ばかりが出てくるから、僕なんかは正直食傷気味。なんで警察機構や犯罪捜査にこれほどまでに詳しくなんなくちゃいけないのって思う。そういう人、けっこういるんじゃないかなー。

謎解きというのは、絶対に強いコンテンツだから、そこに絡めるものが、こういった風にバリエーション豊かになるといいな。古くは北村薫さんの『空飛ぶ馬』という名作があるけれど、そういった「死なないミステリー」というものがあるんだよということを、若い層に広く知らしめている点が、この作品の良さです。


posted by okataco at 23:05 | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月11日

『いま、地方で生きるということ』(書評2012 15/50)

タイトルに惚れて本を買うことがある。これもそんな一冊。

それで、これは『自分の仕事をつくる』(ちくま文庫)などで「働き・生きること」を考察してきた著者の西村佳哲さんが、震災後の東北や九州を巡り、地方で働くということを考えた本。
「まえがき」が面白い。
そこには「いま、地方でいきること」というタイトルを書いた紙を前にしてキラキラしているこの本の出版社の社長である三島さんの姿がある。そして西村さんは、これは「無理」だと思う。「書けない」と感じる。しかし三島さんはキラキラしている。そして結局、西村さんはこの本を書くことにして、地方を歩き、いろんな声を拾い、いろいろ考える。

この本には、答えはない。こうするのがいいよ!というメッセージはない。でも、考えるきっかけをくれる声がいろいろある。その声が僕は好きだった。そんな声をちょっと抜き取ってみる。

《震災が起きた時も、こういうところの方が絶対に都市より強いなと。食べ物にしてもそうだし、今回の災害では都市部の脆さがもろに出たと思うんです。けどやっぱり文化的なものというか、ちゃんと遊べるところがない。食い物美味くて環境良くて、仕事もあって、あと好きな音楽やアートが楽しめたら、もう完結だな》
宮城県登米市の人はこう言う。

《「地域活性化と言うけど、それは地元の人たちが自分の街にいかに誇りを持つかということなんじゃないか」と話しているのを聞いて「あ、そうだな」と思った》
秋田県でギャラリーをしている方の講演を聞いて、西村さんはこう感じる。

《「大都市のように商品が揃っていないので、探さないと見つからないし。手に入らないものもある。けど探す時も使う時も、自分で工夫しなければならないことが多いのが僕は楽しいです」
鹿児島に暮らす方の言葉。

《都市部ではあるゲームへの参戦が強いられていて、手持ちのチップが少なかったり、ルールもよくわからないまま、一方的に負かされている人が多いように思う》
「あとがきにかえて」にあった言葉。

都合10人から話を聞いて著者は考える。その思考を巡る本。本としてこういった体裁のものが少なくなっているように思う。「これはAなんです!」と言い切ってほしい人が多いのだろうけど、世の中にはそんな言い切れることなんてない。大きな問題についてはそんなのないだろう。本当にあるのは、考えるきっかけだったり、考え続けようと思わせてくれる動機付けくらい。
「これはAなんです!」と銘打ったほうが売れるのかもしれないけれど、僕はこの本のように考えるきっかけをみんなと同じ目線でくれる本が好きだ。

この本の最後にこの本を出したミシマ社の三島さんのインタビューが載っていた。なんかこれも不思議な話だ。でも、こういった仕掛けも好きだ。今、一部で注目されているミシマ社だけど、ボクはこの本を読んでみて、「あ、なんか面白そう」と思ったのでした。



posted by okataco at 18:17 | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月10日

カフェゼミ

ちょっと告知を。

来週の水曜日4月18日、渋谷の宇田川町にあるカフェで「カフェゼミ」なるイベントをやります。カフェゼミ。名前もいいですよね。内容もいいと思いますよ。

肝心の内容は、石黒謙吾さんの仕事で使えるスキルのお話。僕も石黒さんも編集者であり執筆活動もしている人間ですが、とりわけ編集者というわけでもなく、いろんな人と関わる仕事に就いている人なら役に立つ能力。それがこのゼミのテーマ「推進力」です。

耳慣れない言葉で、あまり仕事の上では用いられないものでしょうが、これがとても大事な力なのです。フリーになってから、一番大変だったのは「やれ!と言われないことをどうモチベーションを保ってやるか」ということに尽きると思った。推進力というのは、こういった部分に即効性がある力。どうやって推進力を身につけるのか、その概念から具体的なところまでドリンクを飲みながらゆるくかつ熱く語ってもらいます。そしてこのゼミが面白いのは、その模様を僕が本にしようじゃないかというところ。ライブのものをどう本にまとめるのか。その軌跡も楽しんでもらえるものにできればと考えています。

イベントの詳細や予約方法については、石黒さんのブログをご覧くださいませ。

「書籍作り公開カフェゼミ」やります

軽食+ワンドリンクで3000円。夜の7時からで場所は渋谷と比較的参加しやすいスタイルになっているので、ぜひお立ち寄りください。
posted by okataco at 22:06 | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月04日

『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(書評2012 14/50)

昨年の11月にNHKで放送されていた『蝶々さん〜最後の武士の娘〜』というドラマに印象的なシーンがあった。それは、祖母からこの蝶々さんとなるまだ幼い女の子が、自害の仕方を習うという場面。宗教から死を教わる人が少ない日本では、男子はもちろん女子も幼いときから「死に方」を伝えられてきたのだろう。

この本は、そんな死を教わらない多くの現代人に向かっての死に方指南である。

著者は、特別擁護老人ホームの医師。ここで著者の中村さんは、最後まで点滴注射も酸素吸入もいっさいしない「自然死」を数百例も見てきたという。そういった事例を見てきてこう悟ります。

《「死」という自然の営みは、本来、穏やかで安らかだったはずです。それを、医療が濃厚に関与することで、より悲惨で、より非人間的なものに変貌させてしまったのです》

実際、食事も水もとらなくなった高齢者は、それこそ眠るように亡くなるそうです。脳内麻薬が分泌されて、苦しむことなくあの世へ行く。自然死というのは、いわば餓死であるのだけれど、食べたり水を飲まなくなった人は、安らかにあの世に旅立つ。
しかし、医者というのは、こういった最期に近い患者にも、「何か手を施す」。食べられなくなった人に鼻から管を入れたり、お腹に穴をあけてそこから栄養を与えたりする。こういった現状に著者は異を唱えます。
《「できるだけの手を尽くす」は「できる限り苦しめる」》
こうおっしゃっている。

この本を読んでなるほどと思うところがいくつかあったのだけど、医療と人間が深く関わるようになって、みんな死が突然やってくると思うようになったという指摘には、頷くところが大きかった。

人間の動かしがたい真理として、人は全員死ぬ。親も自分も子供もみんな死ぬ。そりゃ若者の突然の死には動揺するだろうけど、平均寿命をとっくに過ぎた人の死に「まさか!」もないだろうと。著者は、病気は治せるかもしれないが、老いは治せないと言う。年寄りはどこか具合が悪くて正常だという。医療にすがれば老いから逃げられるといった幻想を抱くのではなく「年のせいだから」と割り切ったほうが楽だと説く。

納得する部分が多い。

ただ、こういった話を読んでいくにつれこの本の「死に方指南」が「生き方指南」に思えてくるのがこの本のよいところ。死に方の本でありながら、前向きな気持ちにさせてくれるのが、広く売れているポイントでしょう。

posted by okataco at 13:58 | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月03日

『小僧の神様/城の崎にて』(書評2012 13/50)

このあいだ城崎に温泉旅行に行った。その模様は別のブログに書いたので、興味のある人は読んでもらいたいのだけど、その旅行前に志賀直哉の「城の崎にて」を読んでみたのだった。
それで新潮文庫版を手にして初めて知ったのだけど「城の崎にて」は、わずか10ページしかない短編小説だった。内容も、温泉探訪記でも書いてあるのかと思っていたが、これが全然違った。書かれていたのは、主人公である「自分」の「死生観」だった。

この話は「山手線の電車に跳飛ばされて怪我をした」と始まる。1913年、大正2年の出来事のようで、その当時の山手線ってどんなもの?という素朴であり強烈な疑問が浮かぶが、これには答えてくれず、主人公の「自分」は、城崎に養生に出かける。そしてここに3週間滞在する間にハチ、ネズミ、イモリの死を見る。彼らは死んでしまったけど、自分は生きている。なんでだろう?

すごく平たくいえば、こんな話である。なぜこんな話が、誰もが名前を知る作品になったのかと疑問に思わずにはいられないが、阿川弘之さんの解説にはこうあった。
《「文章を書こうと思わずに、思うままに書くからああいう風に書けるんだろう。俺もああいうのは書けない」》
まずこれは、志賀直哉の師である夏目漱石の評である。
「その場面をはっきり頭に浮かべないで書いてるね」
そしてこれは志賀直哉がよく他者の作品を評するときに用いたコメントだという。つまり彼の作品はその描写が、高く評価されていたのである。

そう思って改めて読むと、いろんな死がたしかに独特な表現で描かれている。そう思いその描写に注目して読むと情景がパッと浮かぶようである。なるほど。

実際、この短編を読んでから見た城崎の風景は、より強く心に残るものだった。行きの電車の中でも余裕で読めるので、城崎に出かける方がおられたらその前に、ぜひ一読をおすすめします。そうそう。同じ表題作の『小僧の神様』も同じように短い作品なのだけれど、こちらは実に心に残るラストが待っています。この最後を読むだけでも価値はあると思うので、こちらも併せてどうぞ。

ご当地小説は、やはり旅を豊かなものにしてくれる。あまり知られていないものも多いだろうから、どこかでまとめて本にしてくれるといいのにな。



posted by okataco at 22:02 | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。