2013年12月31日

今年はありがとうございました&来年からブログを引っ越しします

みなさん一年ありがとうございました。

今年は、個人的に『目でみることば』など、自著も多くの人に読んでいただき仕事でいろんな広がりがあった良き年でした。
厄年だったのですが、大きな病気もせず健康に過ごせたのもよかったです。

応援してくださった皆さんのお陰です。ありがとうございました。

一方、このブログの更新はめっきりでしたね(笑)

基本的に、夜、寝る前に書くことが多かったのですが、年々、朝方に移行しているのと、夜、こどもと一緒に寝落ちしてしまうパターンが多く、なかなかPCに向かえなかったけど、ま、いっか。年初に「今年も書評50本書くぞー」と言っていたのに、半分もいかなかったな。ま、今年は小説を読み込んでいたとか、理由はあるのですが、ま、それもいいか。

で、来年なんですが、もっと更新を増やすためもあって思い切ってブログを引っ越すことにしました。

新しいURLはこちらです。
「おかべたかしの編集記」
http://okataco.hatenablog.com/

はてなブログなんですが、写真も使いやすいしAmazonリンクも貼りやすいし、このラブログが弱かったスパムコメントなんかの対策も充分なので、考えた末、引っ越します。京都に本社がある「はてな」という会社も好きですし。
というわけで、来年からは別のところで仕事の情報とか、読んだ本の感想とか、サッカーのこととか、のんびり書きますので、よければおつきあいくださいませ。
では、来年もよろしくどうぞ。





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2013年12月25日

『辞書の仕事』(書評2013 23/50)

『広辞苑』『岩波国語辞典』など辞書の仕事に30年携わってきた元編集者の「ことばエッセイ」、とても面白くことばに興味をもっている人にお勧めしたい好著でした。

たとえばこんなことが書いてあります。

《「しあわせ」というのは幸福ばかりを表す語ではありません。「しあわせ」は「めぐりあわせ」や「なりゆき」を意味することばで、その内の「よいめぐりあわせ」が「幸」であるわけですから、「しあわせ」の全体は「仕合せ」とは書けても「幸せ」とは限定することができないのです。》

僕も長年、編集をしてきたけど、こんな初めて知るような話が色々紹介されています。

また、読者からの声に関する逸話なども紹介されているのですが、それらもちょっと深いのです。

たとえば「青森くんだりまで来た」という例文があると、青森の先生から「生徒がこの記述を読むと思うと胸が痛む」といった声が寄せられる。では、どうすればいいのか? いっそ東京の地名にしようという案も出るのですが《「くんだり」はどんな地名に付けてもよいのではない、中心から「下って行った」土地というのが意味の中核です。今風に言えば「上から目線」のことばです》と、その意味の本質を紹介して、この悩みのエピソードとしているのです。

また興味深かったのは、辞典編集者の悩みとして紹介されていたこんな一文でした。

《「四つ仮名」と呼ばれる「じぢ・ずづ」の使い分け。<中略>また「王様」は「おおさま」か「おうさま」かといった長音の仮名遣い。現代仮名遣いとはいえ、これらの判別は必ずしも自明のことと言えません。多分、辞典の利用者はそれを知るためにも辞典を引くのです。しかし、その結果の方を知らないとその項目が見出せないというのは、見出し仮名の最大の矛盾と言うべきでしょう。つまり、仮名書きでの正書法を知るための手掛かりが、そのまま仮名書きでの正書法であるという自家撞着を、多くの辞典が抱えているのです》

探したい単語がなかなか見つからないから、紙の辞書がキライという人はいると思いますが、まさにこの点こそ、辞典編集者の大きな悩みのひとつなのです。「つ」と「っ」はどっちが先か? など、ふと考えてしまうような取り決めに関しては、冒頭の凡例あたりにその辞書での決まりが載っているそうです。これはもうその辞書の決まり以外の何者でもなく、日本語のルールというわけではない。だから新しい辞書を手に入れたら、その辞書固有のルールをまず知る事が大事というのは、この本を読んで初めて知りました。

あと大事な認識として、この一文を紹介しておきます。

《辞書を手に取るまでのハードルはなるべく低くしておきたいものです。函やカバーは捨ててしまえとまでは言いませんが、はずしておいてください。辞書は書棚にかざっておくものではありませんから、大事に保護しておくよりは、開くまでに手間がかからないことを優先されるようお勧めします。できることなら、手近なところに開いた状態で寝かせておく、それがもっとも正しい辞書のホームポジションなのです。》

これは本当にそう思うなぁ。やはり辞書とジーンズは古くてボロボロのほうがカッコいいのです。

そんなわけで、具体的なエピソードを交えながらことばの奥深さをわかりやすく語ってくれる本書。辞書に対する愛情をひしひし感じるのもいいところ。『目でみることば』を楽しく読んだ方にはぜひお勧めしたいと思います。

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2013年12月12日

「レミーのおいしいレストラン」

料理が出てくる映画が好きでよく見るんですが、こないだ借りてきた「レミーのおいしいレストラン」がよかった。ネズミがフランス料理のシェフになるというピクサーらしい話は、ま、普通によかったのだけれど、何よりよかったのはこの映画の最後を締めくくる「アントン・イーゴ」という評論家による評論。批評にとって何が必要かという本質を語る素晴らしいもので思わず書き写してしまったので、ここに貼っておきます。

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評論家というのは気楽な稼業だ。
危険を冒すこともなく、料理人たちの必死の努力の結晶に審判を下すだけでいい。
辛口な評論は、書くのも読むのも楽しいし商売になる。

だが、評論家には、苦々しい真実がつきまとう。
たとえ評論家にこき下ろされ三流品と呼ばれたとしても、料理自体のほうが評論より意味があるんだ。

しかし時に評論家も冒険する。その冒険とは新しい才能を見つけ、守ることだ。
世間は、往々にして新しい才能や創造物に冷たい。
新人には味方が必要だ。

昨夜、私は新しいものに巡りあった。思いも寄らない作り手による、素晴らしい料理を味わえたのだ。作品もその作者も美味しい料理についての私の先入観も、大きく覆した。これは決して大袈裟な表現ではない。まさに衝撃だった。

かつて私は「誰にでも料理はできる」というグストーシェフの有名なモットーをあざ笑った。でもようやく彼の言いたかったことがわかった気がする。誰もが偉大な芸術家になれるわけではないが、誰が偉大な芸術家になってもおかしくない。

グストーのレストランの新しいシェフは、恵まれた環境で生まれ育ってはいない。だが、料理の腕においてフランスで彼の右に出る者はいまい。

近いうちにまた尋ねるとしよう。今度はもっとお腹を空かせて。
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「たとえ評論家にこき下ろされ三流品と呼ばれたとしても、料理自体のほうが評論より意味がある」というのは、心に留め置きたい言葉。評論家よりも料理人が多数生まれる土壌を育むためにも、広まって欲しい考えだと思った。もちろん「料理」というのは、すべての創作物を言い表してのことですよ。



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2013年12月11日

『サッカーで子どもをぐんぐん伸ばす11の魔法』(書評2013 22/50)

子どもが小学校のサッカークラブに入って半年ちょっと。我が家は、このサッカー以外になーんの習い事もさせていないから、余計にそう思うのかもしれないけれど、入れてよかったなとよく思う。友達も増えたし、身体もずいぶん丈夫になったし、土日の練習に行けば、ちゃんと疲れてくれる。

僕も毎週、土日、朝8時からの練習を見ているんだけど、他のパパ&ママや子どもたちとも仲良くなれて、大人の交流の面からも大事な存在になっています。そんな我がサッカークラブは、OBの大学生や高校生がコーチとして活動してくれているのですが、彼らが来年度から就職活動などで人数が減るので「パパコーチになってくれないか」と打診されたのでした。サッカーの部活経験はないけれど、大事なチームが必要としてくれるなら断るのも無粋だろうと、来シーズンからコーチをやります。はい。

それで、新しいことに挑戦するのであれば、本を読もうとしたのです。調べると「お父さんコーチのための本」といったものも数冊あるのですが、なかでも抜群によかったのが、この『サッカーで子どもをぐんぐん伸ばす11の魔法』。金言満載で、パパコーチの必読書ではないでしょうか。自分のためにも、大切な言葉を書き写しておきます。

《子ども、コーチ、そして父母の方も共通の認識を持つことが重要です。「スポーツには、勝つ時もあれば負ける時もある。勝ち負けは少年サッカーではそんなに重要なことじゃないよ」ということを》

《何のために子どもはサッカーをしているのでしょうか。何のために大人はサッカーを教えているのでしょうか。「勝つため」だけなのでしょうか。実際は、子どもが楽しくて、喜んでサッカーをしている方が体力がつきます。頭も使います。サッカーもうまくなります。けれども、厳しい練習に耐えることのほうが重要だと思っている大人の方が多いようです。歯を食いしばって汗を流しているのが選手で、それがスポーツ。子どももそうあるべき。どうも、そんなふうに思い込んでいるようなのです》

《小学生だからこそ、力の差があってもみんなが出られる。出ていいんだ。それを大人が教えてあげるべきだと思います。子ども一人ひとりを守る必要があると思います。よーく考えてみてください。少年サッカーに「勝たないといけない試合」なんてあるのでしょうか》

すごく大切なことなので、同じようなメッセージを3つ書き残したけれど、ここにあるように小学生のサッカーでは、「勝つこと」というのは最重要課題ではない。コーチを始める前にこう認識できたのは、とても大きなことだった。

《サッカーの先進国を見回すと、ブラジルもヨーロッパのどこの国でも小学生年代の全国大会は開催されていません。日本や韓国など東アジアの国だけです。実はブラジルでは、かつて小学生の全国大会を開催していた時代があったそうです。ところが、その時代にいい選手が生まれてきているかというと、結果的に育っていなかったのです》

そしてこんな一文にもあるように、子どものときに「勝つこと」だけを目指していくと結果がついてこない。だからサッカー大国では、子どもの全国大会を実施していないという事実は、実に深いと思った。

《勝ち負けがはっきり決まるようなメニューをたくさん子どもにやらせます。例えば、ドリブル競争やシュートゲームなどをふたりで競争させます。その中で勝ったら、今度は勝った人の中から相手を探して、勝った者同士で対戦します。このような勝ち負けが決まるゲームをたくさんすると非常に集中し、どうしたら勝てるかということも自分で考えるようになり、子どもは上達します》

《「子どもが自分から進んでやるっていうことが本当に大事です。サッカーが大好きだから、一生懸命サッカーをする。大好きだと興味がわく。どうしたらぼくはうまくなるのかな、どうしたら試合でうまくいくのかな。いろんなことを自分たちで気づいて、考えながらやってほしいと思います。そういった時間の中で、間違いなく子どもはうまくなりますよ」》

僕が取材してきた「ヨコミネ式」の保育園でも、まったく同じことを言っていたな。とにかく自分から取組むようにさせるのが大切。大人はその仕掛けをしてやるだけで、いい。


《ポジションをあまりうるさく言うと、そこに「判断」がなくなります。「今危ないから、ぼくは戻るよ」「今、チャンスだからぼくは前に行くよ」そういう一瞬の判断、サッカーでよく言われる「嗅覚」が養われません》

このポジションにとらわれないというのも、大きな認識。

《サッカーだけでなく、スポーツは日々進化しています。以前はこういわれていたのに、今はそれが全否定される。そんなことは日常茶飯事です。例えば、給水。以前は水を飲むなと言われました。(中略)サッカーなら子どものヘディング。以前は幼児でもヘディングの練習をやらせていました。10数年前に日本でもヘディング練習が幼児の脳に与える負担が社会的な問題になりましたが、ヨーロッパなどサッカー先進国では、もっと以前から子どもにはヘディングをやらせてはいませんでした。7〜8歳では浮いたボールが蹴れません。ボールが空中に上がらないのだから、ヘディングを練習する必要はありませんよね》

ヘディングをしないのが今の主流なんですね。あと、本書を読んでいて「これはいい」と思った練習が「シュートの機会が倍増するクアトロサッカー」でした。

《試合は4対4でゴールキーパーなしで行ないます。そのため、シュートを打つ場面が増えます。ゴール前のシュートシーンが8人制や11人制よりも、2倍に増えるというデータもあります。打つ回数が多いので、子どもたちはシュートがうまくなります。端的に言えば、ストライカーが育ち易いのです。同時に、うまいディフェンダーも育ちます。キーパーがいないので、早め早めに攻撃の芽を摘まないといけない。相手の攻撃を読んでディフェンスしていかないとゴールを入れられてしまいます。4人でやる場合、ポジションが非常に簡単です。攻める、守る、中盤を作る。それだけです。これがサッカーでは一番シンプルな形です。日本の練習は3人が多いですが、3人だとトライアングルはひとつしかできません。でも、4人になった途端にトライアングルが4通りできます》

で、最後になるけれど、子どもたちにサッカーをさせる目的は何かということを、この本ではこう書いています。


《私たちが、何のために子どもにサッカーをさせているのか。突然尋ねられると、漠然としていて誰もが答えに窮するテーマですが、その目的はここに集約されているといっても過言ではありません。
他者を信頼し、思いやることのできる子ども。
賢くて、やさしくて、強い子ども。
少なくとも私はそれを目指して子どもに接していきたいと思うのです》

同感ですね。

《子どもにサッカーをさせる意味は何でしょう。「サッカーは人生の縮図のようなものだ。人生のいろいろなことを学べる。サッカーで子どもを育てることができる」。日本代表の監督を務めたオシムさんはそう言っています。》

たかだサッカー。されどサッカー。
うちの子は、今の小学校低学年期に大切なことを、サッカーで教えていこうと思っています。


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2013年12月09日

今年のサッカー観戦総括

IMG_4882.JPGサッカーの話をとんと書いてませんでしたが、今年もずっとサッカーは見ていたのでした。

それで終末の試合で、今年のJリーグ観戦は、ひとまず終了。
今年のリーグは8位と少々寂しい順位だったけれど、サッカーを本格的にやるようになった息子が、かなり真剣に観戦するようになったのが大きな進歩。あと、行くたびにサッカートレカを欲しがるのだけれど、ポケモンカードよりはいいだろうと毎回1パックだけ買ってあげるようになったのが、少しの変化。それと11月の対湘南戦では、息子のサッカーチームの子たちを引率して行ったところ、子どもはもとよりお母さんたちも「楽しかった!」と言ってくれたのが、よき思い出でした。

そして週末の土曜日は、午前中は子どものサッカーで、午後からはFC東京のリーグ最終戦@味スタ。翌日の日曜日は、午前中は子どもサッカーの親子大会で(なんと大人のMVPをもらった^^)、午後には国立に出かけて、京都サンガのJ1昇格プレーオフを見るという、サッカー漬けの週末を送ったけれど、楽しかったな。感想としては、東京は来期、外人総入れ替えでガラッと変わるけれど、カボレが来たときもこれくらいの大変革があったからやってくれるだろうと無理矢理ポジティブに考えよう。京都はまたJ2暮らしが決定したけど、正直、今年見たどの試合も「面白くなかった」。パスサッカーを志しているのはわかるけど、手数をかけすぎで全然ゴール前の迫力がなく、痛快さと無縁に思えた。来期はスカッとした試合で是非J1上がってきてください。

それと来年から、息子のサッカーチームのコーチをやることになったので、これからいっそうサッカーを勉強しつつ、より楽しまなければならない事態になっています^^ というわけで、明日はその一環として味スタで行なわれるFC東京主催の「おとなのサッカー教室」というのに行くのでした。
なんか加速度的に強まるサッカー熱。どこに向かっているのかよくわからないけど、今が楽しく、息子とも楽しくやれているのでオッケーなのでした。シュー!


posted by okataco at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月02日

『目でみることば2』が「スッキリ!!」で紹介。

専用ブログでも告知しましたが、明日(2013年12月3日)『目でみることば2』が、NTV系の情報番組「スッキリ!!」で紹介されます。テリー伊藤さんの「スッキリ!!TIMES」というコーナーで、時間はだいたい10:00ごろからだそうです。
お時間ある方、ぜひご覧くださいませ。
お知らせまででした。

posted by okataco at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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