2013年12月25日

『辞書の仕事』(書評2013 23/50)

『広辞苑』『岩波国語辞典』など辞書の仕事に30年携わってきた元編集者の「ことばエッセイ」、とても面白くことばに興味をもっている人にお勧めしたい好著でした。

たとえばこんなことが書いてあります。

《「しあわせ」というのは幸福ばかりを表す語ではありません。「しあわせ」は「めぐりあわせ」や「なりゆき」を意味することばで、その内の「よいめぐりあわせ」が「幸」であるわけですから、「しあわせ」の全体は「仕合せ」とは書けても「幸せ」とは限定することができないのです。》

僕も長年、編集をしてきたけど、こんな初めて知るような話が色々紹介されています。

また、読者からの声に関する逸話なども紹介されているのですが、それらもちょっと深いのです。

たとえば「青森くんだりまで来た」という例文があると、青森の先生から「生徒がこの記述を読むと思うと胸が痛む」といった声が寄せられる。では、どうすればいいのか? いっそ東京の地名にしようという案も出るのですが《「くんだり」はどんな地名に付けてもよいのではない、中心から「下って行った」土地というのが意味の中核です。今風に言えば「上から目線」のことばです》と、その意味の本質を紹介して、この悩みのエピソードとしているのです。

また興味深かったのは、辞典編集者の悩みとして紹介されていたこんな一文でした。

《「四つ仮名」と呼ばれる「じぢ・ずづ」の使い分け。<中略>また「王様」は「おおさま」か「おうさま」かといった長音の仮名遣い。現代仮名遣いとはいえ、これらの判別は必ずしも自明のことと言えません。多分、辞典の利用者はそれを知るためにも辞典を引くのです。しかし、その結果の方を知らないとその項目が見出せないというのは、見出し仮名の最大の矛盾と言うべきでしょう。つまり、仮名書きでの正書法を知るための手掛かりが、そのまま仮名書きでの正書法であるという自家撞着を、多くの辞典が抱えているのです》

探したい単語がなかなか見つからないから、紙の辞書がキライという人はいると思いますが、まさにこの点こそ、辞典編集者の大きな悩みのひとつなのです。「つ」と「っ」はどっちが先か? など、ふと考えてしまうような取り決めに関しては、冒頭の凡例あたりにその辞書での決まりが載っているそうです。これはもうその辞書の決まり以外の何者でもなく、日本語のルールというわけではない。だから新しい辞書を手に入れたら、その辞書固有のルールをまず知る事が大事というのは、この本を読んで初めて知りました。

あと大事な認識として、この一文を紹介しておきます。

《辞書を手に取るまでのハードルはなるべく低くしておきたいものです。函やカバーは捨ててしまえとまでは言いませんが、はずしておいてください。辞書は書棚にかざっておくものではありませんから、大事に保護しておくよりは、開くまでに手間がかからないことを優先されるようお勧めします。できることなら、手近なところに開いた状態で寝かせておく、それがもっとも正しい辞書のホームポジションなのです。》

これは本当にそう思うなぁ。やはり辞書とジーンズは古くてボロボロのほうがカッコいいのです。

そんなわけで、具体的なエピソードを交えながらことばの奥深さをわかりやすく語ってくれる本書。辞書に対する愛情をひしひし感じるのもいいところ。『目でみることば』を楽しく読んだ方にはぜひお勧めしたいと思います。

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2013年11月28日

『世界がよくわかる 国旗図鑑』(書評2013 22/50)

うちの小学1年生が、今ぐいぐい覚えているのが国旗です。子ども向けの国旗の本を買ってもらったところ、それを眺めているだけでは飽き足らず、自分で画用紙に国旗を描いたりしてどんどん覚えている。200近い国が今あるんですが、おそらく100は覚えているんじゃないかな。それで、僕も負けじと国旗を覚えようと、図鑑を眺めていたところ、ふと「なんかこれって覚えるための法則があるんじゃないかな」と思ったのです。子どもの頃は気付かなかったけど、アフリカの国旗は似ているし、南米の国旗も似ている。でも、普通の国旗の本は、そういった関係性に触れず、だた地域ごとに五十音順で国旗を紹介しているだけ。なんか、もっと国旗の法則について触れている本はないものかと、探し求めた結果、これぞ!というのを見つけたのが本書です。

いやー素晴らしい! 国旗が覚えやすくなるだけでなく、あまり馴染みのない諸外国の関連性も覚えられて最高。やはり「似ているもの」「ややこしいもの」というのは、どこかに関連性があって、その法則を覚えさえすれば、逆に一番覚えやすいものになるんだなと、改めて達観。国旗は、子どもに学習のコツを体感させるための、最適の教材なんじゃなかろうかと、思った次第なんですが、ま、それはさておきこの本で知った国旗の法則を、自分の備忘録も兼ねて以下に少しメモしておきます。

◎三日月はイスラムのシンボル
→国旗に描かれた三日月は、その国がイスラム教国、あるいはモスリム(イスラム教徒)が多いことを表している。例・トルコ、チュニジア、アルジェリア、モーリタニア、パキスタン。
◎十字架はキリストのシンボル
→スカンジナビア半島の国旗が似ているのは、デンマークの国旗をお手本にしたから。例・デンマーク、ノルウェー、アイスランド、フィンランド、スウェーデン、スイス、トンガ。
◎ひとつの星は、社会主義のシンボル。
→全部が全部そうではないが旧ソ連の国旗に星が入っていたことに習って。例・ベトナム、ソマリア、北朝鮮、ブルキナファソ、アンゴラ、モザンビーク。
◎複数の星が入っているのは、島や州、行政区などの数を表す。
→例・アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、ブルンジ。
◎青・白・赤は「スラブの色」
→スラブ民族のシンボルカラー。例・ロシア、スロバキア、スロベニア、チェコ、クロアチア。ただしフランスなど例外もたくさんある。
◎赤・白・黒・緑は「アラブの色」
→例・シリア、スーダン、イラク、ヨルダン。クウェート。
◎緑・黄・赤は「アフリカの色」
→源流は、最初にアフリカで独立したエチオピアとガーナの国旗。例・マリ、セネガル、コンゴ共和国、カメルーン。

本当はもっともっとあるんだけど、このあたりで。今年中に、全部覚えるのが僕と息子の目標です。

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2013年10月31日

『オードリー・ヘップバーンという生き方』(書評2013 21/50)

ある仕事のコラムでオードリー・ヘップバーンのことを書こうと思い、その資料として読んだのですが、この本も彼女の人生も、ことのほか魅力的で面白かった。

そもそも知らなかったのだけど、オランダ人の母から生まれたヘップバーンは、あの第二次世界大戦のとき、ドイツ占領下のオランダに住んでいて、ナチスへのレジスタンス活動を手伝っていたんですね。彼女は、あの「アンネの日記」のアンネ・フランクについてもこんな言葉を残しています。

《アンネ・フランクとわたしは同じ年に生まれ、同じ国に住み、同じ戦争を体験しました。彼女は家のなかに閉じこもり、わたしは外出できたということだけが違っていました。アンネの日記を読むことは、わたし自身の体験をアンネの観点から読むことに似ていました。はじめて日記を読んだとき、わたしの胸は引き裂かれました》

このように彼女の人生は、苦労から始まる。そして、『ローマの休日』といった大ヒット作に恵まれるまでは、食べるためにモデルをするなど、辛い日々が続いている。美貌の代名詞のようなヘップバーンだが、また彼女は、自身のルックスにコンプレックスも抱いていた。時は、マリリン・モンローに代表されるグラマラスな女性がもてはやされる時代だった。

《こんなに胸がぺちゃんこじゃなければいいし、こんなにとがった肩や、大きな足や、大きな鼻をしていなければいいと思います。でも実際には、神様からいただいたものに感謝しています。これでかなりうまくやっていますから》

そんな彼女は、晩年、ユニセフの親善大使を務めて、その影響力の大きさから「デザイナージーンズを履いたマザー・テレサ」とも呼ばれるようになります。そして1992年、体調不良を訴えて検査したところ末期の大腸ガンと診断されるのですが、そこで彼女はこう言ったという。

《自分の命のことは自分で決める権利があると思います。ずるずる引き延ばされるのは望みません》
こうして自らの死期を自ら決してヘップバーンは、最後のクリスマスに、二人の息子を前に詩を読み上げます。これが、ヘップバーンが終世愛した詩として大変有名なのですが、僕はこれを彼女の自作だと思っていたけど、違うのですね。それがサム・レヴェンソンというアメリカの詩人が、彼の孫たちに宛てた書簡形式の詩集『時の試練をへた人生の知恵』のこんな一節です。

《魅力的な唇になるために、やさしい言葉を話しなさい。
愛らしい目をもつために、人のよいところを探しなさい。
おなかをすかせた人に食べ物を分けてあげれば、身体はほっそりとするわ》

芯の強い女性だったんだなぁヘップバーンって。それで、遅ればせながら『ローマの休日』を、借りてきて見たのだけど、想像以上に面白かった。王女様が、一日だけ抜け出してローマの街を遊び歩く。ただ、それだけのストーリーだけど、見ていて飽きなかった。まさにヘップバーンの魅力が満ち満ちたいい映画でした。




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2013年10月25日

英語の語源について考える〜『英語の語源のはなし』『語源でふやそう英単語』(書評2013 19/50,20/50)〜

11月25日に『目でみることば2』が出るわけですが、この企画が動き出したときから、いつかは「海外版」が出来るのではないかと思っているのです。電子書籍の世の中ですからね。英語版を作ってみれば、世界の人にも楽しんでもらえるんじゃないかと。

ただ、じゃ具体的に何を撮ればいいのかというと、これがなかなか思い浮かばない。
誰でも知っている英語のことわざといえば、これですよね。

It is no use crying over spilt milk.(こぼれたミルクは嘆いても仕方ない)

いわゆる「覆水盆に返らず」の英語バージョンですが、これ撮ってもねぇ(笑)。ミルクがこぼれて泣いている女の子とか? 面白いかもしれないけど、「これだ!」って感じはしない。

You can take the horse to the water, but you cannot make it drink.(馬を水飲み場へは連れていけるが、水を飲ませることはできない)

これも有名なことわざで「ある程度は強制できても、意欲を湧かせることまではできない」というなかなか含蓄のある言葉ですが、これもねぇ。撮れたら面白いけど、ちょっと難しいしなぁと。

こう考えていくと、なかなか思い浮かばないし、そもそも日本語と違ってどのことわざが英語圏の人にとってメジャーなのか、その勘所がよくわからないので、勉強せねばなーと思っているのです。

そこで、時間があれば「英語の語源」という本をパラパラと読んでいるのですが、先日、図書館で借りてきた2冊がなかなか面白かったので、ちょっと紹介しておきます。

まず『英語の語源のはなし』(研究社)
これは語源を中心とした英語に関する、雑学集のようなもので、なかなか気軽に楽しめる良書でした。
《トランプの「ばば抜き」とはクイーンを抜くこと》
たとえば、こんな項目があったのですが、そもそも「トランプ」のことを「トランプ」と呼んでいるのは日本だけだそうです。なんでも「trump」というのは「切り札」のことで、西洋人が遊んでいるときにしばしば「トランプ」というものだから、あれは「トランプだ」と勘違いしたのだとか。本当は「(playing) cards」そう、カードなんですよね。
んで、この項では、日本のババ抜きは、ジョーカーを入れてやっているけど、これは間違いでクイーンを一枚抜いて遊ぶのが本当だという。
たしかに婆(=old maid)であるならば、この方が正しいよね。へー。ただ、ではなぜ日本のババ抜きがジョーカーを加えてやるようになったのかは、書かれてなかった。なんでだろ? 調べてみようか。

あと《フレッシュバターとは「無塩バター」のこと》であるとして、フレッシュと聞くと日本人はすぐに「新鮮」という言葉を思い出すが、英語の本義は「塩気のない」であるという。フレッシュウォーターも、新鮮な水ではなく、海水に対する真水のこと。
こういった語源の解説から始まる、日本人が誤解しがちな英単語の話は面白かった。

そしてもう一冊『語源でふやそう英単語』という本は、学生時代に読んでおきたかったとおおいに思った一冊。英語の語源といえば、わりとメインとなるのが、こういった本なのですが、たとえば「mon,mono」は一つという意味。それゆえ、この語が付く言葉はこんな意味となる。

monarch (君主)
monocrat (独裁者)
monologue (独白)
monotone (単調な)

つまり、こういったパターンを覚えていけば、たとえ知らない単語であっても、予測ができるようになるわけ。
以前、受験の取材をしたときに「知らないことを、その場でどう予測できるかが、高得点への秘訣」という話を聞いたことがあるんだけど、まさにそのための武器となり得るのが、この本で解説されている英語の語源。
今の僕には差し当たって必要ないけど、子供が受験で悩んでいたら「この本、便利だぞ」と渡してやろうと思って、でも忘れそうだからここに書いておくのでした。

というわけで、『目でみることば』的に使える英語の語源には、あまり役立たなかったけど、面白かったので2冊紹介でした。


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2013年07月02日

『365のみじかいお話』(書評2013 18/50)

今、我が家には、小学校に行き始めた6歳の男の子と幼稚園にも行っていない2歳の女の子がいるのですが、この二人がいっしょに楽しめるものってのが、なかなかない。

上の子と遊んでやると、下の子がうるさいし、下の子と遊んでやると上の子がうるさいという人気者のパパとしては、できれば同時に遊べるものはないかと、いつも探しているのです。ま「トムとジェリー」でも見せておけば、二人して笑っているのはわかっているのですが、本を作ってる身としては二人が楽しめる本を探したい。と思って、いろいろ手にとってみたもののなかで、素晴らしかったのが、この『365のみじかいお話』。
《子どもが眠る前に読んであげたい》というサブタイトルが、付いていますが、寝る前だけじゃなく、ご飯の前とか、ちょっとしたときに大活躍しています。

タイトルからもわかるように365の話が入っているのですが、この各話が、的確に要点を押さえたほどよい長さで、子どもも飽きないし、親も読みやすい。
童話や昔話などジャンルも多様ですが、ここで「彦一さん」とかの頓知話に目覚めた息子は、今、笑い話の本をよく借りて来ます。うん、物語への案内役としても優れているな。これで2415円は、実にお得。子育て中のパパ&ママにおすすめです。

*そういや先日買った「くまさんの あいうえおドミノ」というもの、幅広い年代で遊べるオモチャでした。2歳なら並べるだけでも楽しいし、6歳ならこれで言葉を作ったりドミノに挑戦したりもできる。ドミノってけっこう幅広い年齢層で遊べますよ。

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2013年06月17日

『料理の四面体』(書評2013 16/50)

料理雑誌『dancyu』の「このレシピ本がすごい!」という好企画で紹介されていた一冊。料理業界からすれば門外漢の著者が、自身の体験から導き出した「料理とは何ぞや」を自分の言葉で書き連ねていく心地よい本でした。

《要するに、肉から出たジュースを捨ててしまうのがもったいないから回収しよう、というのがソースづくりの基本の精神なのだ。「フランス料理の生命はソースである。ソースには何十種類も何百種類もバリエーションがあって、その奥義を究めるには何十年もの修業がいる」という言葉は、たしかにどこも間違ってはいないけれども、この言葉におそれをなす必要もまったくない。》

《ひどく複雑な料理法も、根幹はごく簡単ないくつかの要素から成り立っていて、それが順列組み合わせみたいな倍々ゲームになって無数の枝葉や末節を繁らせているのだとは考えられないだろうか。》

こういったスタンスで「料理すること」の本質に迫って行く。そのためのアプローチは民俗学であり科学であり言語学でありと、実に多彩。そしてタイトルにある料理は四面体であるという考えに至る。
その四面体を構成するのが「火、空気、油、水」。どんな料理であっても、この四面体のどこかに位置するという論理の詳細は、是非読んでみてもらいたいのですが、ボクみたいに理屈好きの料理好きはきっと面白いと思います。

こういった物事の本質を喝破するのは、やはり門外漢の人だなと改めて感じる。岡目八目というけれど、好奇心をもった外部からの知見こそが、本質を言い当てるのです。

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2013年06月08日

『舟を編む』(書評2013 15/50)

辞書編集者の主人公と、辞書に魅き込まれた人たちの物語。昨年の本屋大賞作品を遅ればせながら。

で、今年の本屋大賞だった『海賊とよばれた男』と併せて感じるのは、最近のエンタメ小説というのは、いわば「情報小説化」してるのだろうな、ということ。

どちらも最初の導引としては、辞書はどうやって作られるのか? という知識欲にあるんじゃないかな。感情の機微やトリックといったものよりも、これからの小説の現場では、「みんなの知りたいことをいかにパッケージするか」というのが、一層重視されるようになると思った。

ただ、この『舟を編む』というのは、題材にしては、辞書に関連する情報は、少な目だと思う。なかに「西行」という単語が、複数の意味を持つという話が出てくるけれど、こういった話は、取材を通して、いくつもあったはず。ただ、それが多すぎても物語としても魅力が変質してくるので、その辺りは、作者の三浦しをんさんの力量でしょうか。

最後に印象に残った一節を。

《記憶とは言葉なのだそうです。香りや味や音をきっかけに、古い記憶が呼び起こされることがありますが、それはすなわち、曖昧なまま眠っていたものを言語化するということです》

言葉にはそういう力があるよね。たしかに。

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2013年05月20日

『あ・うん』(書評2013 14/50)

向田邦子を乱読していたときに買っていたけど「長編小説」という文言に気が進まず長年積ん読¥態だったこの作品。ようやく読んだけど、向田邦子らしい味わい深い作品でした。概要は、表4の解説を引用しておきましょうか。

《つましい月給暮らしの水田仙吉と軍需景気で羽振りのいい中小企業の社長門倉修造との間の友情は、まるで神社の鳥居に並んだ一対の狛犬阿、吽のように親密なものであった。太平洋戦争をひかえた世相を背景に男の熱い友情と親友の妻への密かな思慕が織りなす市井の家族の情景を鮮やかに描いた著者唯一の長編小説》

長編小説といっても、昨今の長編ぶりからすれば、全然短い。これは良い意味で。最近の小説は長過ぎると思っているので、ちょうどよく密で濃く、読み応えがありました。さて、向田邦子らしいとしたのは、さすが脚本家だなという描写でしょうか。例えば、こんなの。

《「お前、いい音するね」
沢庵のことである。
「お母さんだって、音するじゃない」
「音が違うんだよ。女は子供うむと歯が駄目になるから。お前、若いんだねえ」
さと子は、母に聞かせるように大きな音を立ててバリバリと沢庵を噛んだ。門倉のおじさんが帰ってしまうと、母が二つ三つ老けた顔になるということは、言わずにおいた》

何気ない会話だけど、いろんな想いが伝わってくるし、浮かんでくる。門倉という人物は、親友の水田の奥さんが好きなのだけど、それを心に仕舞っている。それを奥さんも感じているんだけど、表に出さない。そんな二人を描いた次なる描写が、いちばん印象的だった。

《これで「もとっこ」ですよ、と門倉は笑った。目は血走り、無精ひげが伸びていた。
「むさ苦しいとこ、お目にかけてすみません。今まで債権者にやられてたもんだから。一番先に奥さんに知らせたくて」
 たみは、襟にかけていた手拭いをはずして、門倉に手渡した。髪のしずくを拭いてもらいたかった。それから、台所へ走った。灯を節約した暗い廊下を、別珍の臙脂の足袋が走った。一升瓶とコップを掴むと取ってかえし、手拭いで濡れた肩を拭いている門倉にコップを持たせた。なみなみと、あふれるほど酒をついだ。
「素寒貧になったけど、奥さん、今まで通りつきあってもらえますか」
「門倉さん。あたし、うれしいのよ」
一升瓶を胸に抱えるようにして、たみは言った。
「門倉さんの仕事がお盛んなのはいいけど、うちのお父さんと開きがあり過ぎて、あたし、辛かった。口惜しかった。これで同じだとおもうと、うれしい」
「ありがとう。いただきます」
 門倉はぐっとひと息にあけた。
 もしかしたら、これはラブ・シーンというものではないか。梯子段の途中までおりかけ、そこでためらっていた素足のさと子は息が苦しくなった。》

つまるところ、小説の面白さ、巧さって、悲しい、嬉しいといった感情を、どのように表現するのかに集約されるのかもしれない。
実は、ストーリーというのは、それほど差があるものでもなく、それだけで人を夢中にさせるものでもないのだろう。ストーリーや設定というのは、小説の基盤であって、あくまでメインとなるのは、感情や情景の描写なんだろうな―−というのが、最近、得た感覚。特に女性作家の秀作を読むと、こんな想いが強くなるのです。

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2013年05月14日

『タイニー・タイニー・ハッピー』(書評2013 13/50)

著者の飛鳥井千砂さんって、この本を手にするまで知らなかったのですが、今、新しい書き手としてとても将来を有望視されているようですね。実際、読んでみて筆力のある方だと思いました。

《東京郊外の大型ショッピングセンター「タイニー・タイニー・ハッピー」。略して「タニハピ」。きょうも「タニハピ」のどこかで交錯する人間模様。結婚、恋愛、仕事に葛藤する8人の男女をリアルに描いた甘くも胸焦がれる、傑作恋愛ストーリー》

裏表紙のリードからこの本の概要を抜粋するとこんな感じでしょうか。恋愛ものとか普段まったく読まないので、久しぶりにこういうの読んだなー。

それで面白かったというか、とても参考になったのが、視点の面白さ。タニハピというひとつのショッピングセンターを舞台に描かれるドラマは8つ。それも8人分、それぞれの視点で、描いているのです。

こんなこと小説技法としては初歩の初歩なんだろうけど、視点を交錯させることによって、ちょっとしたことがミステリー仕立てになるのが、面白いなぁと個人的には思った。

「僕は彼女が好き。でも彼女はどう思っているんだろう……」
こんな僕視点のドラマがあって、その次に
「彼はいつも私に興味がないように思える」
なんて私視点のドラマがあると、自分からは分かり得ない他人の気持ちというのが、ちょっとした謎のようなものになって、読者を魅き込んでいく。
視点の設定によっては、人の気持ちとか、人の感覚というのも充分、物語の核になるなぁと思った次第。神視点で書かれたものは、純然たる謎しか謎足り得ないけど、人物視点の小説は、こういったところが強みになりますね。

このショッピングセンターの中央にシンボルツリーがあるんだけど、この木を8人がいろんな想いで見ているのも印象的でした。木の表情は普遍でも、それを受け取る人の気持ちは多種多様。こういったところも心に残った良作でした。

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2013年05月09日

『小さいおうち』(書評2013 12/50)

概要は、帯にあるこんな文句がわかりやすいかな。

《昭和10年に建った、赤い屋根の洋風住宅。若く美しい時子奥様と一家につかえた女中・タキの日々。だが時代の嵐は彼らの小さいおうち≠も巻き込んでゆく》

『永遠のゼロ』というのは、零戦に乗った男の人生を追うことで、あの戦争の時代を見せてくれたわけだけど、この『小さいおうち』というのは、赤い屋根のモダンな家で女中として働いていたタキさんの回顧で、あの時代を見せてくれるわけです。

それで、これが実によいのは、女中さん視点ということで、戦中の食糧難がどのような速度で一般人が感じられるようになったとか、息子が小学校でどのようなものをもらってきたとか、そういった市民視線の戦争が、上手に語られている点。それは単純に辛いといった一語では語られるものでなく、もっと幅広い感情、喜怒哀楽があったという、いわば当たり前のことなんだけど、ややもすると「悲惨」といった一言で括られてしまう時代の、動きを上手に見せてくれる。
僕は、食の描写が好きなのですが、この本では、旦那様へのお膳を作るところがよかったな。

《奥様が目で促すので、わたしはお勝手に戻って、旦那様のお好きな菊正をお銚子に七分めまで注いで、お猪口といっしょにお持ちする。火鉢にかかった鉄瓶にお銚子を沈めて、ぬる燗の番をなさるのは奥様で、その間にわたしはお勝手にとって返して、つまみを見繕う。旦那様はふだん、お一人での晩酌はあまりなさらない方だったが、召し上がるときにはご飯のおかずではなくて、ちょっとしたおつまみを好まれる。お晩酌用になにか用意しているわけではないので、あるもので工夫して、小さく切って焼いた油揚げに山葵漬けを詰めてお醤油をひと垂らししたり、缶詰のコンビーフをサイコロに切って、お葱といっしょにちょっとあぶったりして、お膳にお持ちするとちょうどよい頃合に、お燗がついているのだった。》

時代の動きよりも、個人の動きを見せるわけで、こういった所作は、女性作家が得意とするものだと思う。帯に山田洋次監督による「映画化決定」とあるけど、これはハマると面白いでしょう。そのうち朝の連ドラのモデルになってもいいだろうな。

なんとなく感じるのは、男性は設定、構成も妙で魅せる。
女性は、視点の妙、それも細かい生活の機微を綴るといったところで魅せる。
男と女でそんな単純に分けられるものでもないけど、そういった大別はあるんじゃないかなと、この作品を読んでみて改めて思いました。

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2013年04月12日

『40歳のためのこれから術』(書評2013 11/50)

松浦弥太郎さんが綴る「40歳」を基点とした生き方エッセイ。

以前、このブログでも「30歳の成人式」といった話を書いたけれど、節目節目に立ち止まって考えることの大切は、折々に感じていたので手にとってみた。個人的にも、昔の自分にこだわらないことこそ、年を重ねたときの「生き易さ」だと常々思っているのだけど、この本にも同じような共感するエッセンスがいくつかあったのでメモしておきます。

《僕は四〇歳になったときに、ひとつの目標を立てました。「七〇歳を自分の人生のピークにする」》

僕は、今まで色んな人にインタビューしてきたけど、心に残るのは、だいたい年配の方だった。「いい顔だな」と思うのも、60歳、70歳、80歳って人が多かった。もちろんインタビューするくらいだから、普通の人とは違う「一角の人」ではあるのだけど、しっかり積み重ねると、年配の方のほうがいい顔だなとよく思う。20歳や40歳じゃなく70歳をピークにしょうというこの提言、実にいいし、これからの社会に大切だと思った。20歳より70歳のほうがいい顔をしている人は、多いと思うな。

《「ピークを意識する」とは「終わりを意識する」ことです。自分が老いるということ、死ぬということを受け入れる。これも四〇歳でしておくべき覚悟だと感じます。「老後のことはまだ先でしょう」「なるようになる、なんとかなる」このように嘯く人は、老いと死についての覚悟がないから、考えることから逃げているのだと感じます》

同感。今、死を考える本もよく売れているけど、40歳くらいから読むのはいいと思う。

《今は「若さに価値がある」とされがちな時代です。誰もが歳をとることを恐れ、見た目が若くなるにはどうしたらいいかということも、しばしば語られます。歳を重ねたぶんだけ傷み、古びていくなら、なるほど、歳をとるのは恐ろしいことでしょう。しかしワインのごとく、年月を重ねたぶんだけコクを増し、芳醇になっていくなら、歳をとるのは素晴らしいことではないでしょうか》
今の「若さこそ」という時代性って、どう考えても「ものを売りたい人たち」の考えから生み出されたものだ。ちゃんと歳を重ねることへの尊敬と憧れが、しっかり抱ける社会にしたいもの(もちろん、歳を重ねた人がみんな聖人だとは思いませんけどね)。

《いばらない。誰に対しても同じ態度で接する。すてきな七〇代は「自分が正しい」と思っていないのでとても謙虚です。わからないことがあれば「わからない」とはっきり言うし、素直な態度で教えてもらう姿勢は見習いたいものです。》

本当に同感。素敵な年配の方はみな謙虚で「わからない」とか、知らないことに対する恐れがない。BARなんかで飲んでいると、絶対に「教えてもらう」という態度で話せない人もいるけど、見苦しい。肝に命じておきたい考えです。

《四〇歳を境に「社会貢献」という意味でのpublic relations を築くトレーニングを始めて、社会との関係性を深めていきましょう。会社を大きくする、業績をあげる、個人でなにか発信するというのもトレーニングの一つではありますが、ただがむしゃらにやって我欲に走るとだめになります。目的はあくまで社会貢献だという一点を忘れずにいたいものです》

これからの生き方で基準を見失いそうなとき「社会貢献」というのは、ひとつの指針として忘れずにいたいものです。

本書全体として「自分の年表をつくる」など、取り組みにくいものもあったけど、今の立ち位置をから見ると、含蓄の多い言葉が、わかりやすく書かれていた。これからの人生をちょっと立ち止まって考えるきっかけの一冊としておすすめです。


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2013年04月05日

『重版出来!』(書評2013 10/50)

新米編集者をヒロインにした出版界を描く漫画。これは「じゅうはんでき」ではなく「じゅうはんしゅったい」と読むんですよという出版界豆知識とともに、今広く話題になっている作品です。
設定からすると安野モヨコの『働きマン』を思い出すけど、個人的にはこちらのほうが好み。主人公の黒沢心が、愛すべき体育会系ナチュラル新人で、この子を見てるだけでも楽しい漫画です。

そんななか、見所は『タンポポ鉄道』なる漫画をヒットさせるまでの軌跡。1巻、2巻は出たものの重版に至らずくすぶっている漫画。しかし読んだ人の反応はよく、ほのぼのさせる内容は幅広い読者を獲得できそう。そんな折、勝負の3巻が出る――。

ここで編集、営業、書店がいったいになって、この漫画をヒットさせていく。それほどたいしたことは起こらないし、他の業界から見ればこういった連携はとりわけ珍しいものではないのかもしれない。でも出版界においては、これがもう実にいい話なのです。

《漫画は、おもしろくても売れるとは限らない。売れそうな作品がイマイチだったり、無理そうな作品がヒットしたり、なんでそうなのかわからない―−わからないから、売るのはおもしろいんだ。》

こんな印象的な台詞がある。ただ欲をいえば、こういう台詞を吐く人が、決して漫画のヒロインではなく、この業界で働く人の一般的な感覚になれば、出版界はもっともっと魅力的なところになるはずだと思った。ま、このように出版界いい話を、じんわり伝えてくれるいい漫画。久しぶりに2巻も楽しみにできる作品に出会えて嬉しいです。

有楽町1.JPG*そういやこの漫画で、書店員さんが作った『タンポポ鉄道』の店内ディスプレイを編集者や作家が見て涙するシーンがあるのですが、実は僕も似た体験を最近したのです。奇しくも今日は、僕が脚本を書いている『ヒーローマスク』という漫画の2巻の発売日ですが、このそれほどメジャーともいえない漫画の1巻を、すごくプッシュしてくださっている書店があるのです。それがTSUTAYA有楽町マルイ店さん。担当の人から「行ってみて」と言われて覗きにいったのですが、写真のように素晴らしいディスプレイをドーンとしてくださっているのです。担当の方と少しお話させてもらったのですが「面白いから!僕が売らなきゃと思いました!」と、おっしゃってくださって感激。「面白いから売りたい!」っていいよね。それが自分が関わった本だったので、実に嬉しかった。「2巻も楽しみにしています!」と言っておられたので、有楽町界隈の方、よければこちらでヒーローマスクお買い求めくださいませ!

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2013年03月28日

『関東大震災』(書評2013 9/50)

徹底的に資料を読み込み、綿密なデータから事実を浮かび上がらせる作家・吉村昭。中学生くらいから『破獄』『漂流』『長英逃亡』など色々な作品が好きだったけど、まだ未読だったこの作品を読んでみた。最近、近代建築が好きでいろいろ調べているのですが、東京には「関東大震災以降に建てられた」という建築物がけっこうある。有名なのは、日比谷公会堂ですが、これは関東大震災からの復興の象徴として建てられたんですよね。そう、東京にとって関東大震災というのは、東京大空襲と同じように、現在に色濃くつながる昔≠ネわけです。

それで関東大震災のことは、なんとなく知っているつもりではあった。でも、本書を読んで知らないことが多々あることに気付かされた。

《辛うじて持ち出した家財の焼失を恐れるのは当然の人情だが、それらが道路、空地、橋梁などをおおい、その多量の荷物が燃え上がって多くの焼死者を生むことになったのである。道路、橋梁が家財で充満したために、人々は逃げ場を失い、消防隊もその活動を妨げられた。関東大震災の東京市における悲劇は、避難者の持ち出した家財によるものであったと断言していい》

これに関連して寺田寅彦のこんなコメントが文末にある。
《関東大震災の大災害は、歴史的に考えれば前例が繰り返されたにすぎず、それは人間の愚かしさから発していると述べた。過去の人間が経験したことを軽視したことが災害を大きくした原因であり、火災に対する処置などは、むしろ江戸時代よりも後退している》

江戸時代の江戸の町は、まさに火事との戦いが身近にあった。冬は大火の可能性が高いと、土地を離れる人もいたほどで、火事のときの対処法は、江戸時代のほうが庶民に徹底されていたのだろう。それが近代化≠フなかで、こういった有事の際の知識が共有されていかなくなるというのは、なんとも示唆に富む話だ。ま、僕も避難民の荷物が、これほど死者を増やしたという事実は知らなかったし、こういった事実、より広く周知したほうがいいように思った。

流言による混乱も、事実としてなんとなくは知っていたけど、これほどまでとは思わなかった。震災直後の朝鮮の人に対する暴行は、まさに「日本歴史の一大汚点」と称されるほどで、ここで細かく書かないが、あまりにも酷いもの。政府や警察が、その流言をもみ消そうとしても、市民の間で根強くくすぶり悲劇を繰り返した。人は、追い詰められると、ここまで冷静さを失ってしまう。象徴的な事実として、こんなことが書かれていた。

《各所で人々を恐怖におとしいれたものの中に、門、塀等に記された奇妙な符号があった。その数はきわめて多く、A、12a、2P、1B、1m、○、W3、r、う、mなどと洋文字を使ったものや、ヤ、ケ、ヤヤ、ヌという片仮名文字、→、⇄など多種多様であった。これらの符号は、たちまち流言の絶好の対象となった。人々は、朝鮮人が社会秩序を破壊する符号として使用しているのだとかたく信じこんだ。それらの奇妙な符号は「殺人すべし」「放火すべし」「毒薬を投下すべし」「爆弾を使用すべし」などをあらわす暗号として恐れられたのである。しかし、それらの符号は、牛乳配達、新聞配達、糞尿処理業者が得意先の各家々を分別するために白墨等でしるしていたもので、朝鮮人とはまったく関係のないものであった。》

極限状態に追い込まれたとき、人は、平時では、考えられないような判断ミスを犯す。これはどこまでいっても防げないものかもしれないが、少しでもその被害を抑えるために必要なことは、今を知ること、過去を知ることなんだと思う。そのための一手として、辛い状況が各所に書かれたこの本だけれども、多くの人にとって有益のようにも思えた。
時を重ねたからといって、人はそれだけで過去の英知を蓄積できるわけではない。やはり大事なのは、積極的に知る姿勢と、それを教える教育なんだろう。

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2013年03月18日

『永遠のゼロ』(書評2013 8/50)


小説は、何のために存在するのか。いろんな答えがあるだろうけど、この『永遠のゼロ』は、あの戦争のこと、零戦のこと、特攻のこと、それらを伝えたくて書かれたのだろう。伝えたいことがあって、それを伝えるために書かれた小説。そうであるのだから、いろんな粗い点が指摘されたりするようだけれど、僕はそんなこと全然気にならなかった。いろんなことを知れて、いろんなことが伝わってきた。

物語は、特攻で死んだ祖父の本当の姿を知るべく、その孫が、共に戦いに行った人たちの話を聞いていくという体裁で進んでいく。各人の語りを通して、あの戦争の全体を知るという構造は、小説の妙味という面では単調かもしれない。でも、いろんなことが、心に残った。特に印象深かったものをメモ。

《八時間も飛べる飛行機は素晴らしいものだと思う。しかしそこにはそれを操る搭乗員のことが考えられていない。八時間もの間、搭乗員は一時も油断は出来ない。我々は民間航空の操縦士ではない。いつ敵が襲いかかってくるかわからない戦場で八時間の飛行は体力の限界を超えている。自分たちは機械じゃない。生身の人間だ。八時間も飛べる飛行機を作った人は、この飛行機に人間が乗ることを想定していたんだろうか》

零戦という戦闘機は、戦争の序盤には圧倒的な戦力だったが、それに乗る人がいかに消耗していたかという今まで気にしていなかった一面。図鑑などでは決してわからないことだ。

《かつて日露戦争では、連合艦隊がバルチック艦隊を打ち破って戦争に勝利した。連合艦隊はそれ以来、敵の王将つまり主力艦隊を打ち破れば戦争に勝つと思い込んできたのだ。しかし今度の戦争は、敵の王将を取れば終わりという戦ではない》

囲碁と将棋の関係を、日本の戦争観にあてはめた興味深い分析。日本は、信長の桶狭間が広く知られるように王将を取れば勝ちという戦争観が強い。でも、太平洋戦争の状況は、囲碁のそれに近く、拠点をどう戦略的に取るかということが重要だったというわけだ。

《「VTヒューズ」は言ってみれば防御兵器だ。敵の攻撃からいかに味方を守るかという兵器だ。日本軍にはまったくない発想だ。日本軍はいかに敵を攻撃するかばかりを考えて兵器を作っていた。その最たるものが戦闘機だ。やたらと長大な航続距離、素晴らしい空戦性能、それに強力な二十ミリ機銃、しかしながら防御は皆無》

兵器に思想が反映されるという話。なるほどと、深くうなづいた。

あの戦争については、本当に知るべきことは、まだまだあるなぁと改めて感じる。この本でも紹介されていたけれど、鹿児島に「知覧特攻平和会館」という資料館がある。特攻など、見ると辛いものが少なくないだろうけど、いつか鹿児島に行ったときには足を運んでみたい。戦争については、これからも継続的に学んでいこう。そして「伝えるための小説」というものも、継続的に意識していこう。読む立場でも書く立場でも。

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2013年03月02日

『世界が愛した日本』(書評2013 7/50)

今朝、こんなニュースが配信されていました。

《1985年のイラン・イラク戦争時にトルコ政府の命を受け、テヘランに取り残された200人以上の邦人を救出したトルコ航空機の元機長、オルハン・スヨルジュ氏が、2月24日にイスタンブールで死去した。死因は肺がん。87歳。トルコと親好のある和歌山県が1日、発表した。県やスヨルジュ氏の関係者によると、1926年生まれ。イラン・イラク戦争時、トルコ政府は邦人救出のため、トルコ航空機2機をテヘランに派遣。スヨルジュ氏はうち1機の機長を務めた。功績をたたえられ、2006年4月に旭日小綬章を受章した。》

トルコ航空機の機長が亡くなったという話ですが、このニュースの真相を知るには、この文面だけでは足りないので、ちょっと補足しておきます。

 実は、話の発端は1890年まで遡ります。このとき、トルコの艦船・エルトゥールル号が、皇帝の親書などをもって日本に来ていました。しかしその岐路、和歌山県の樫野崎沖を航海中に台風に遭遇。強い風と波に煽られた末、樫野崎の岩礁に激突、機関部が水蒸気爆発を起こし、587名が亡くなったのです。ただ、このとき69人の生存者がいて、この人たちを、和歌山県串本町の住民が救い、彼らは日本の軍艦でトルコへと送り届けられたのでした。
 これがエルトゥールル号事件の顛末です。この話は、あまり日本では知られることがありませんが、トルコでは今でも教科書に載っていて、国民の誰もが知る話なのです。だから、トルコの人は、みんな大変な親日家だといいます。

 そしてこのエルトゥールル号の事件から95年後の1985年、イラクの大統領であったサダム・フセインが次のような驚くべきメッセージを世界に向けて発します。
「今から48時間以降、イラン上空を飛ぶ飛行機はすべて撃ち落とす」
 このとき、世界中の国々が、イランに向けてチャーター機を飛ばすなか、日本は民間機も自衛隊機も飛ばすことができませんでした。現地の日本人は、もうダメだと思っていたそのときトルコ政府が派遣したトルコ航空が、215人の日本人を乗せて飛び立ってくれたのです。このときの機長が、今朝報道されていたオルハン・スヨルジュ氏というわけです。

 なぜ、トルコは日本人を助けたのか。某新聞などでは、日本の経済援助のお陰などと書いたようですが、これはエルトゥールル号事件恩返しであると、トルコの人は事も無さげに言ったといいます。

 このように実に感動的な話なのですが、日本では哀しいほどに知る人が少ない。僕ももっと広く知られて欲しいと思うので、一冊の本をご紹介します。それがこの『世界が愛した日本』。このエルトゥールル号の話をはじめ、日本と諸外国との感動的な交流譚を丹念に描いた一冊です。以下の七つの話しが収録されています。

・第一章 日本×トルコ
エルトゥールル号の恩返し 95年後の日本人奇跡の救出劇
・第二章 日本×ポーランド 
シベリア孤児の救済 日本外交史上異例の即断が救った小さな命
・第三章 日本×ベルギー 
10万フランの贈り物 日本の魂に応えた感謝の気持ち
・第四章 日本×ユダヤ人 
6000人の命を救った”命のビザ” 国益を超えた外交官・杉原千畝の決断
・第五章 日本×インドネシア 
植民地からの脱却 インドネシア独立を助けた日本兵 
・第六章 日本×韓国 
もう一つの昭和 日韓の架け橋となった李方子妃
・第七章 日本×ドイツ 
坂東捕虜収容所で咲いた”虜囚文化”捕虜ではなく人としての交流


今朝のトルコとの交流譚に興味をもった人は、ぜひこの本のご一読をおすすめしますよ。

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2013年02月26日

『蒲生邸事件』(書評2013 6/50)

去年から、歴史ライターの上永哲舟さんといっしょに「或る一日を歩く」と銘打った試みをしています。これは、歴史のある一日にスポットを当てて、その一日を歩いてみるというもの。たとえば、第一回目は、勝海舟の気持ちになって、赤坂の勝の邸宅跡から、田町にある西郷と勝の会談場所に行きました。有名な、江戸城無血開城の談判場所まで、勝がどういう気持ちで歩いたのか、その足跡を文字通り辿ることで、なにか見えるのでは―そんな気持ちで歩いています。
ま、主な楽しみには寄り道とか、お酒といった部分であったりするのですが、これがやってみると実に楽しいし、いろんな発見があるのです。
で、もう明日というか今日になってしまったのですが、次回は226を歩こうと年末から話していたのです。2月26日に起こった226事件。その名前は広く知られているけれど、何が起こったのか。後世にどういう影響を与えたのかは、意外と知られていない。実は、僕もここ最近、近代史を勉強するなかで、226に関心を持つようになって、個人的に調べていました。そんなとき、読んでみた一冊が、この宮部みゆきさんの『蒲生邸事件』でした。

《『蒲生邸事件』は時間旅行の物語である。平凡な現代青年が一九九四年の冬の東京から一九三六年の同日同時刻へと緊急避難する。そこは「二・二六事件」の現場である。一九九四年に火事になった平河町のうらぶれたホテルは、一九三六年には陸軍大将の邸宅だった。おりしもその邸宅で大将が死ぬ。自殺か他殺かはわからない》

その粗筋は、こんな感じ。通読してみて正直「長い。長過ぎる」と多々思った。しかし、最後はさすがに宮部さん。上手にまとめて、読後感はかなりよかったです。ただ、226は考えれば考えるほど陰鬱になることは否めない。

《二・二六事件というものは、日本が暗黒の時代へとなだれこむ、その転換点であったのだろう。この先に待っているものは、死の恐怖と欠乏と飢えという、忌まわしいものばかりなのだ》

文中にもこうあるように、この226は、大きな時代の転換点だった。ただ、桶狭間とか鳥羽伏見といった、竹を割ったような転換点でなく、なんか「グニャ」と嫌な音を立てて曲がったような転換点だったと、感じています。
とはいえ、このあたりの事象に目を背けていると、歴史が現代まで繋がってこないので、今日はいろいろ見て、感じてこようと思っております。

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2013年02月17日

『東京カフェ散歩』(書評2013 5/50)

先日、千駄木にある「往来堂」という本屋に行った。関連陳列という、内容に関連がある本を、単行本も新書も文庫も漫画も関係なく並べていくという大変魅力的な店作りをしていて、いつ行っても楽しいお店。「街の本屋の復権」を掲げて生まれ変わった店ですが、今の街の本屋のひとつの答えがここにあると思っていて、近所にいくと立ち寄っています。

そんな店に、久しぶりに行ったら店頭の一番目立つところに『京都カフェ散歩』という文庫本が「これをもって早く京都にいきたい」という文言のPOPと共に置かれていて、改めてこの店が好きになった。

というのは、この川口葉子さんの一冊は、今、僕がいちばん好きな京都の本。京都に帰省するたびに、この本に出ているカフェに行って本を読んだり書き物したりして、お陰でどれだけ充実した時間が過ごせただろうか。店のセレクトもいいし、行った後からその店の文章を読むのもいい。また文庫サイズなので、気軽にカバンに入れて、京都散策もできる。京都に行くって友達から聞いたら、いつも勧めているのですがみんなに好評。京都という言葉から感じる時代感、空気感と違うステージの心地よさを教えてくれる本なのです。

そんな『京都カフェ散歩』の姉妹編ともいうべきが、今回出版された『東京カフェ散歩』。渋谷ヒカリエの「d47食堂」や代官山蔦屋なども取り上げ今の風を伝えつつも、定番、古典も入ったいいバランス。僕が愛する三軒茶屋から松陰神社前のカフェもしっかり押さえてあって、この沿線民としても誇らしい。スタバやタリーズしか知らない人は、ここから4、5軒行ってみると、カフェというものの文化性を知ることができて、楽しい町歩きができると思います。川口葉子さんは、ほんとこのカフェカルチャーのパイオニア。この人の本は、間違いないです。ただ、京都編と東京編を読んだ人はたぶん京都編のほうがいいと思うはず。それは、京都という空間が定義し得るものが、東京という空間では定義し得ないからでしょうね。京都編が東京編よりも先に出ていることでも、それは物語っているのでしょうが。ま、それはさておき、一冊持っておけば東京が楽しくなること請け合い。ネットのまとめサイトにないものが、ここにあります。

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2013年02月11日

『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(書評2013 4/50)

日本が誇るべき様々なエピソードが紹介されている本。その骨子にあるのは、この一文にもあるように「日本文明」を取り戻そうということでしょう。

《日本人は明治維新を経ることで国を守った。だが、その一方で維新により我々は大きなものを失った。我が国が大国への道を選んだ代償として失ったのは「日本文明」である。今の日本にいちばん足りないのは「日本」ではないか。失われた日本文明を取り戻したとき、日本はほんとうの輝きを取り戻すだろう》

取り戻すためにまず大切なのは、日本人自体がその事実を知る事。「もったいない」という言葉が、日本語だけにある表現とか、日本とトルコの強い友情の端緒になったエルトゥールル号の話とか、知っていた話も多かったけど、初めて得た知見も多かった。

そのひとつが、和製漢語の話。これについて中国の研究者のこんな言葉が紹介されている。

《現代中国語のなかで日本語から借用した外来語の数は驚くほど多く、統計的に、我々が今日使用している社会科学、人文科学方面の用語のおよそ七割は日本から輸入したものである。これらはすべて日本人が西洋の語彙を翻訳したもので、これを中国が導入して中国語のなかに深く根を下ろした/我々が使っている西洋の概念は基本的に日本人が我々に代わって翻訳したものである。中国と西洋の間には。永遠に日本が横たわっている》

幕末から明治期にかけて、日本では西洋文化を輸入するために、西洋の概念などを苦心して日本の言葉に置き換えていく。西周という人が、「哲学」という言葉を生み出しという話は有名だけど、こういった当時の人が「西洋→東洋」に翻訳した言葉が、和製漢語として、中国でもこんなに使われているなんて知らなかった。このあたりの話、もっと調べて行きたいな。ちなみに和製漢語の例がいろいろ紹介されていたので、メモがてら少し書いておきます。
<和製漢語の例……環境、関係、国際、自由、主義、出版、哲学、民主、本質、美術、要素、領土、文化、商業>
つまり、こういった言葉は、幕末以前には日本や中国には存在しなかったってことなんだなー。

あとは、納得の事実がいろいろ紹介されていた。たとえばこんなの。

《世界の歴史には、ルイ十六世や西太后などに見える、権力者が贅沢三昧をしてきた記録は枚挙に遑がないが、そのような逸話は日本の皇室には伝わらない。国が疲弊した困難な時代はもとより、日常的に歴代天皇は質素倹約を是とし、現在に至るのである》

僕たちにとって当たり前のことかもしれないけれど、これはとても偉大なこと。こういった日本の誇るべき点をしっかりと伝えていくのはとても大事だ。そのための入門書として、手頃な一冊だと思います。
*今日は「建国記念の日」。これがどういう日であるか、正確に言える人は少ないと思う。「勤労感謝の日」も、とても曖昧な休日になってしまったけど、国民の祝日の本当の意味、意義くらいきちんと小学校や中学校で教えて欲しいと強く思うのです。

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2013年01月17日

『実録・はじめての少額訴訟』(書評2013 3/50)

同じFC東京サポとして、長らく苦楽をともにしている高井ジロルさんが出版した『実録・はじめての小額訴訟』。これが、色んな方に是非読んでもらいたいと思う快作なのです!

快作だと思う理由その1は、<実録>と銘打たれているように、高井さん自身が体験したことが、この本のベースになっているところ。高井さんが、W出版と仕事をして、仕事を終えたのに、当初の契約にある30万円を支払わないまま、担当者も辞めて、あろうことか社長も会社を身売りしたというどさくさにまぎれて、この支払い義務をなきものにしようとする。そうはさせるかと高井さんは、いろんな法制度を調べて、小額訴訟という仕組みがあることを知り、これを実践、そして紆余曲折の末に25万円を手にいれるというノンフィクション。

単なる物語に終始せず、必要な書類や金額など、事細かく書かれており、これから小額訴訟をしたいという人にも役に立つ。
そしてフリーランスとしては、「こういう制度があるんだ」と知っておくだけで、とても心強いと思う。仕事をしたのに、ギャラが支払われず泣き寝入りというケースは、僕の周りでも漏れ聞くこと。そんなときに、国の制度として小額訴訟というものがあり、これが機能しているという現実は、多くのフリーランサーを勇気づけると思うのです。

もう一点、快作だと思うのは、この本がAmazonの電子書籍端末「Kindle」通じて個人が出版できる「Kindleダイレクト・パブリッシング」で作られている点。

つまり既存の出版社を通した出版ではなく、電子書籍を使った自費出版という形をとっているのです。何かを伝えたいとき、紙の本で出版するには、企画を通して、規定の枠に収めてと、いろいろハードルが在るのだけれど、こういった形であれば、短時間で世に発信することができる。もちろん、電子には電子の、紙には紙の良さがあるので、一概に電子がいい!と言う気は毛頭ないのですが、こういった形で電子書籍が手軽に出せることは、これまたフリーランサーにとって、ひとつの武器になるとは思うのです。

 あと、この電子書籍はこれから自分の作品を作る上での通過点としてありだと思っています。もう僕は、前からあまり企画書というのを頑張って作らないようにしている。企画書を作るなら、その作りたい本を作り始めて、もうその実物を見せて企画を通している。そのほうが結果的には効率がいいし、そうしたほうが覚悟もできて、その覚悟が推進力となって結実している。高井さんも、これをベースに出版にこぎ着けようとしていると思うんだけど、足がかりとしての電子書籍は、これからもっと普及するんじゃないかなーと感じています。

 そんな高井さんのこの本は、一部なんとたったの100円。フリーランスの方は、この100円でいろんなことを、学べると思いますよ。


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2013年01月10日

『星の王子さま』(書評2013 2/50)

NHKのEテレで毎週放送されている「100分で名著」という番組があります。
1週に25分×4週でちょうど100分。この100分で、名著の解説を試みるわけですが、これがけっこう面白い。以前は、なんか退屈な感じだったのですが、途中からリニューアルで聞き手に伊集院光が加わり、とても親しみやすく、面白くなりました。

この番組で、去年の年末に取り上げられたのが、サン=テグジュペリの『星の王子さま』。子どもの頃と、大学の頃にも読んだ記憶があり、有名な言葉
「いちばんたいせつなことは、目に見えない」
なんてのも、心に残っている。そうそうキツネとか、バラとか出てくるんだよね。と、そんな記憶はあったけど、あの本をどのように解説していくのか興味があって、改めて読んでみた。そして「100分で名著」を見ながら振りかえってみたのです。

番組は、とても丁寧でした。パッと読んだだけではわからない、バラや井戸といったキーワードが意味するところを深く解説してくれていて、また違った視点でこの作品に接することができた。今回、改めて心に残ったのは、こんな言葉でしたね。

《「夜になったら星を見てね。ぼくの星は小さすぎて、どこにあるのか教えられないけど。でもそのほうがいいんだ。ぼくの星は、夜空いっぱいの星のなかの、どれかひとつになるものね。そうしたらきみは、夜空ぜんぶの星を見るのが好きになるでしょ……ぜんぶの星が、きみの友だちになるでしょ。」》

ひとつを好きになると、その世界が好きになる。いろんなことに通じる哲学。「世界を愛する」って、ありそうであり得ない。でも「家族を愛する」という身近なステップが、結局は「世界を愛する」というところにたどり着く。そんなことを考えたりしました。

あと、改めて「星の王子さま」を読んで素朴に思ったのは、日本人作家によるこういう寓話的なお話は、なぜあまりないのだろう? という疑問でした。

いや、あるのかもしれないけれど、哲学を感じたり、説話的である物語って、たいてい外国作家によるもがヒットする印象がある。

以前、読んだ「なぜおじさんは時代小説が好きか」という本に、時代小説で書かれた義理や人情は読めるけれど、これが現代ドラマだと、とても読めないといった話があった。

これに似て、こういう話は、外国の話だから読めるというのはあるんだろうな。寓話的、指導的な話は、外国の話だと、わりと素直に受け止められるのに、日本の話だと、身構えてしまう。穿ってしまう。同じような内容の啓発本であっても、なんとなく外国人が書いたものだと有り難がってしまう。そんな姿勢が、僕たちにはあるんじゃないかな。でも、日本人には、日本人に即した寓話性や説話的なものが書けると思う。個人的には、もっとそういう物語を追求してみるのも面白いな、と考えるきっかけになりました。

まあ、そういうわけで「100分で名著」は面白いよというおすすめなのでした。名作と対話するきっかけをくれるので、これからも風呂上がりのストレッチ体操のお供に見て行こうと思っています。

*そういや、書店の棚を見ると、小中学生向けの物語にも「外国産」のものが多いんだよな。「マジックツリーハウス」とか「ダレンシャン」とか、目につくのは外国作家のものが多いように思う。俺は国産の王道ジュニアファンタジーを読みたいぞ。探してみよう。


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